九谷焼とは

九谷焼の歴史は、江戸時代初期の1655(明暦元)年ごろにさかのぼります。加賀の支藩だった大聖寺藩の初代藩主・前田利治(まえだ・としはる)が、領内の九谷(現在の石川県山中町九谷)の金山で磁鉱が発見されたのに着目し、金山で錬金の役を務めていた後藤才次郎に命じて肥前有田で製陶を学ばせました。その技術を導入し、九谷に窯を築いたのが始まりとされています。寛永年間(1624年〜1644年)に始まったという説もあります。

 原因はいまだに定かではありませんが、九谷の窯は1730(享保15)年ごろに突然、閉じられてしまいました。この間に焼かれたものが後世、古九谷(こくたに)と呼ばれ、日本の色絵磁器の代表として独特の力強い様式美が高く評価されています。

 古九谷の廃窯から約80年後、加賀藩営で金沢に春日山(かすがやま)窯が開かれました。春日山窯の木米(もくべい)風、古九谷の再興を目指した吉田屋窯、赤絵細描画の宮本窯、金襴手の永楽(えいらく)窯など数多くの窯が出現しました。

 明治時代に入ってからは、九谷庄三(くたに・しょうざ)の彩色金襴手(きんらんで)が有名となり、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。今日の九谷焼は、各時代の窯の上絵付けの作風を源流に、生産が続けられています。

九谷焼とは(金沢市公式ホームページへ)

九谷焼資料館

九谷焼学校 石川県立九谷焼技術研修所 (将来の九谷焼を担う人材を養成する機関)

 上へ